懐かしのセンター試験

2020/5/21

こんにちは。S.O.Takashi.です。現在、杏林大学医学部に通っています。

自分はセンター利用入試と一般入試の両方に合格し、一浪で今の大学に入りました。どうやら2020年1月をもってセンター試験が終わってしまうとのことなので、自分の受験での経験をもとに、懐かしのセンター試験に関する思い出話をしていこうと思います。

まずは現役のときの話から。二か月に一回のペースで東進ハイスクールがセンター模試を行っており、高1の段階でその模試を何度か受けていた記憶があります。現代文、古文、漢文は得意で8割程度取れていました。地理Bは5~6割くらいで、英語筆記は6~7割。英語リスニングは4割。理系科目は覚えていません。全体的な傾向として、文系科目はリスニング以外それなりに取れていて、理系科目は数学ⅠA以外あまり得点出来ていませんでした。

高2の終わりくらいになってから、英語筆記の得点が8割くらいにまで上がっていきました。他の科目は微増といったところでしょうか。高校に入ってから始めたZ会で数学・英語の二科目を基礎から学び始め、英語の和訳問題に慣れていったことが要因の一つでした。数学の伸びが大したことなかったのとは対照的に英語の伸びが顕著になっていきました。

高3になって、本郷にある個人塾に通うようになりました(厳密には高2の1月から)。その塾では英語・数学・物理の三科目を履修しました。どの科目も基礎学力を伸ばすことが出来ましたが、特に英語を驚異的に伸ばせました。毎週の授業の傍ら、『鉄壁』というテキストで英単語・熟語をマスターしたことも大きかったと感じています。このテキストは、覚えやすく無駄がないという長所があり、効率よく英語の読解問題への力をつけることが出来ました。

数学は、センターレベルの問題よりも国公立2次レベルの問題への対策が中心でした。公式の証明といったトレーニングを積むことによって、国公立2次で出されるような記述問題への苦手意識をなくすことが出来ました。駿台模試の数学でも難易度が低めの問題は安定して取れるようになっていきました。

物理は微積の定義を中心とした定量的な内容の授業でした。力学、熱力学、電磁学、波動、量子力学といった分野を総括的に学び通すことが出来ました。受験直前期は国公立2次の過去問演習がメインの授業となったのですが、毎週「自習用課題」としてセンター試験の過去問を分野別にまとめた冊子が渡されていたので、それをもとにセンター対策も行っていました。

その他、化学は参考書と高校での授業を中心に受験対策をしていました。高3の冬頃には、センター模試の理系科目の成績において、8割以上取れているものもいくらか出てきました。

そして本番。会場は何と東大のキャンパスでした。受験会場では同級生の姿も多く見られました。初日も二日目も早めに会場についたため、かなり余裕をもって本番に臨むことが出来ました。因みに、赤門前で列に並びながら開門を待っていると、毎日新聞と名乗る記者が私に取材をしてきました。私は「医学部志望で18歳」といった凡庸なコメントをして去りました。

「一日目の夜に自己採点すると、仮に結果が悪かった場合、二日目へのモチベーションを損ないかねないから、やめとけ」と聞いていた私は、二日目の試験が終わってから一日目と二日目の自己採点をしました。そして、数学ⅡBと英語リスニングで大失敗をしていたことを知りました。地理Bが91点(満点100点)だったり、英語筆記が九割を超えたりと、悪くはない科目も多かったのですが、国立大学は険しいと言わざるを得ない結果でした。

駿台や河合塾の資料をもとに、この点数でも足切りのなさそうな国立大学を探していると、或る旧帝の医学部なら足切りの心配をしなくてよさそうと分かりました。前期はその大学に出願することにして、後期は地方の国立大学に出願することを決めました。

結果は、前期は足切りをされずに済み、後期は足切りをされるというものでした。前期の試験の日まで、その大学と私大医学部の過去問を解いていくという生活が続きました。

現役の時はどの私大医学部も一次で落ちてしまったため、国立前期の試験が終わり次第、リラックスした生活を送っていました。国立前期の結果が出るまでは、高3の冬になってから意気投合するようになった同学年生と池袋で対談したり地元の図書館に行って読書をしたりしていました。

しばらくして入試結果が来ました。結果は不合格だったので、地元の駿台に通うことになりました。そして、SAクラスという東大理系と国立大医学部を志望する生徒を集めたクラスに入ることとなりました。駿台の場合、お茶の水校などで教えている先生方が地元の校舎にも来て下さるので、非常にハイレベルな授業を受けることが出来ました。

駿台では数学を特に伸ばすことが出来ました。私は駿台の一年間、国立大医学部を目指す生活を送っていたので、駿台模試とセンター模試を中心に受けていました。或るセンター模試の英語筆記で198点(満点200点)を取れたことは個人的に思い出に残る出来事でした。

あっという間に12月となり、受験本番が近づいてきました。親が沢山の大学に願書を出した方が良いと言ったため、私大薬学部などの大学にも願書を出しました。

センター試験本番は9割近くの結果を出すことが出来、国立大学医学部受験者のうち2次試験に合格するだろう層の平均点と同じくらいの点でした。実家のある県の大学の医学部に出願し、私大医学部への対策と同時にその大学への対策に勤しみました。

現役の時と違って、一般入試・センター利用入試において複数の私大医学部の二次試験まで進むことが出来ました。国立大2次試験の結果は不合格でしたが、二次試験まで進んだ私大医学部のうち杏林大学から合格通知が届き、晴れて医学部に入学することが出来ました。

いま思うのは、センター試験は数学などの一部の科目を除き、基礎学力の向上にかなり役立つし、深い学力を見極めるための二次試験における受験者数を抑える上で客観的かつ合理的な試験だったのではないかということです。私が浪人中の時期は、一部の私大医学部で女性差別が露呈したこともあり、「性別による点数操作のないセンター試験」はやはり公平性が高いと感じました。

現在、入試制度改革によってセンター試験は廃止されようとしていますが、この試験制度にとって代わろうとしていた新たな試験は、費用、公平性、複雑さ、自己採点の困難さ、ベネッセに関する疑惑といった問題が次々と表面化しているそうです。

こういった惨状を踏まえると、今までのセンター試験の良さを生かせるような試験制度が構築されるべきだと言わざるを得ません。

記述問題を取り入れるべきなのか。現在のマーク式の問題だけでも受験生のスクリーニングは充分に可能なのではないか。そのような議論が深化していく必要があります。少なくとも、一部の企業が「本来、公的なものであるはずの入試制度」をビジネス化するといった事態は絶対に回避しなければなりません。

(↓自筆イラスト)

2020年5月6日 寓居にて

 

面白かったらTwitterのフォローお願いします!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。